philosophy

実存主義構造主義ポスト構造主義が1時間弱で頭に入ったぜ!

実存主義(あー価値なんてなくなっちまった、生きる意味なんてあんのかな、とりあえず生きてこか、俺俺俺)

言い換えると個人主義。まず古代ギリシャヘラクレイトスがロゴスという観念を拵え、そっからアリストテレスが第一実体(個人)と第二実体(普遍、神とか?)という観念を拵えた。これが影響して、中世哲学において論争が起こって。実在論(神はいる!普遍的なものが何よりも大切)と唯名論(けっ!神なんて名目だって。実際は人間とか個人の方が価値があるに決まってる)が対立した。実在(観念)は神であり、宗教的規範、普遍の価値なんだ。(つまり僕らの生きる意味を提供する)それと、実存(リアルの人間とか個人)という二つの対立概念が西洋の伝統としてあった。ヘーゲルっちはこの二つは不可分で切り離せないと言った。で、キルケゴールジーザすアーメンマンセーなところがあったから、神の意志にかなう形で実存(個々の人間のありさま)があれば、そのように生きればそれこそが幸せだと説いた。彼は、「死に至る病の中で」間接的に信仰を弁証してるのだ。人間は神無しでは本質として絶望しか無いそういう実存であって、そこから抜け出るためには信仰しか無い。神への知識とベクトルしか無いと発言した。また、不道徳な個々の行為は「救心性」(個人における信仰の体系)を崩すものだとしてその不当性を証明した。
で、ニーチェ。こいつは人生最悪だった人で持病もあり、神否定。「神中心の
」実存から、「神を否定する」実存を作り上げた。永劫回帰やらなんやら。で、神という、つまり既成のキリスト教的倫理観や思想の桎梏から自由になり、そのうえで肯定的な生き方を探ろうとした。クリスチャンなら普通は否定する筈。のりちゃんは。。。わからん。。
で、このあと1930年代に実存主義が世界レヴェルで広まって、ハイデガーとかヤスパースとかでてくるんだが、このあとサルトル
フランスね。この人が「他の実存と共に生きるための自己拘束」とかいって非常に能動的な(political activism)実存主義を展開する。60年代の学生運動(世界各地)の原因ともされるのね。で、しかしこれが構造主義者にボコボコにたたかれて結局レビストロースと論争で負けて消えていく羽目になる。
新左翼とか吉本隆明とすごく関係あるんだけれど、三島さんも含めこいつらは戦争にいけなかった「罪悪感」と、今まで信じていた国家に裏切られた「絶望」とかが重なって、反政府、反権力に傾いていった。吉本さんなんか俺なんかゴミレヴェルなくらい頭のいい人だけど、思想即生理、といった感情的な側面が否めなかった。全共闘に愛読された共同幻想論だって結局、読んでみると一方的な自己流の思想の構築があって、それはすごいんだけれども、根拠 proofということが一度もされていない。それから、(吉本さんのいうところのロシヤ的)マルクス主義から自己を疎外するために「上部構造(共同幻想全般)」を扱う場合には経済的範疇(下部構造、つまりロシヤ的マルクス主義でいう唯物史観となるもの)を捨象できるとか言って結局出来ていない。とか。

ま、そういう大変な世代だったんだな、とね。


あと構造主義は簡潔に言えばあらゆるものを構造から把握するということ。
研究対象を一度分解し、その個々の要素の関係性を検討して再び統合する。
ソシュールの言語における差異みたいなこと。あらゆるものは

構造の中の一要素としてしかその価値や機能を示さないし

独立では成立しない、ということ。

だからすべての要素が相互依存であり、それをマクロとしてみるとある種の構造になっている。

だから要素還元主義ではない。一つ一つがそれ自身として単独に意味や機能や価値をもたない。



で、ポスト構造主義って言うのは構造主義って言うのは静的な構造だけで対象(何か)を説明しようとしていたので、そうじゃないだろ、構造には生成過程(構造ができるまで)とか変動とか(可塑性)があるだろ、っていう批判から生まれた。

でもポスト構造主義自体はなにかまとまってるわけじゃなくて、ただ構造主義の後のいろんな人の意見や理論をひっくるめているだけ。


わかっただろ?


量子力学だれか教えろ!